しろまち堂~こちらも本館ですがただいま休館中の旧館です~

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モンテ・クリスト伯7

やっと最終巻に辿り着きましたー\(^o^)/


商品説明
今も昔も復讐鬼の物語が人々の心を惹きつけてやまないのは、それが幸福と安寧に背を向けた人間の究極の姿だからであろう。世界の文学史上最も有名な復讐鬼、モンテ・クリスト伯。19世紀フランスの文豪、デュマが創造したこの人物もまた、目的を果たすごとに、底なしの泥沼へと一歩足を踏み入れていく。
本名、エドモン・ダンテス。マルセイユの前途有望な船乗りだった彼は、知人たちの陰謀から無実の罪で捕えられ、14年間の牢獄生活を送る。脱獄を果たし、莫大な財宝を手に入れたダンテスは、モンテ・クリスト伯と名乗ってパリの社交界に登場し、壮大な復讐劇を開始する…。
文庫本で7冊の大著である。物語に多少「できすぎ」の感もあるが、そんな懸念をすぐに吹き飛ばしてくれるほど波状に富んだ展開で、息をつく暇もなく読み通してしまう。フランス文学の大著といっても、机に向かって姿勢を正して読む、というよりは寝そべりながら読むうちについ夜更かししてしまう、というタイプの作品である。
何と言ってもこの小説の白眉は、伯爵の用意周到かつ執拗な復讐の過程である。着々と目的を遂行していく姿が、心理描写をいっさい排した文体で描かれ、後年のハード・ボイルド文学をも連想させる。
復讐の物語にハッピー・エンドはあり得ない。もしあるとすれば、主人公がどこかで「妥協」を見出す必要があろう。モンテ・クリスト伯が最後にどんな選択をするのかも、読みどころのひとつである。(三木秀則)

著者:アレクサンドル・デュマ
出版社:岩波書店(岩波文庫赤版)

過去記事、リンクさせています。
1巻」 「2巻」 「3巻」 「4巻」 「5巻」 「6巻

でもって、この期に及んで『モンテ・クリスト伯』すでに過去記事で紹介してたやないかい!とわかりまして★
いつもなら最初にブログ内の記事検索をするのに、なんで今回に限って洩れてたんだろー!?と思いつつ
前記事を削除するのもアレなのでリンクしちゃいましょーかw
書いたのは約6年前だそうです。マジか。そりゃ忘れても仕方ない…か?

自分でも書いたのを忘れていた紹介記事はこちらからお読みいただけます^^;



さてさて、大盛り上がりの6巻のあとに続くこの最終巻は
ズバリ「広げきった大風呂敷を上手に畳む方法」を見せてくれます。

いや、あのね、失礼に聞こえたら著者にホントに申し訳ないんですけどね、
これがどれくらい難しいことか、たたみ方がアレな作品がいかに多いものか、
本読みの方はよくご存知だと思うんですよ。
読み終わったとき、「あぁ…↓」って、ガッカリしますよねぇ?
でもって、伏線回収が上手にされている作品の評価って、それだけでグッと上がるってもんじゃないですか。

なんだかんだ今だに売れまくってる「ONE PIECE」のすごさのひとつって、やっぱりそういうとこですもん。
あんだけ長期間連載していてもテンションが伸び切らないのと
え、これ、伏線だったの?みたいに過去の出来事が当時の「今」と上手につながってたりするの。
たぶん連載中の「今」のエピソードにもどこか未来の連載で伏線になる出来事が転がっているはず!
そして回収されるはず!
っていう信頼感がありますからね。
そりゃ、コンビニのレジ回りにチロルチョコみたいに置いてたり、書店が発売日に早朝開店して売ったりするわけですわ。
聖書に次いで第二位の売上でしたっけ。連載終わるまでに逆転劇が起きたりするのだろーか。
ドレスローザ編か、もうちょっと前くらいから読んでないから、そのうちどっかでまとめ読みのチャンス作らなくちゃだわ。

…いやいや、ワンピースの話じゃなくてモンテ・クリスト伯の話ね。

6巻で復讐がカドルッス(ただし彼は巻きこまれ系でもあります)とモルセール伯=フェルナンまで終了しまして
次はヴィルフォール氏の番になっております。
この方は非常に厳格なヒトでして、直前に来たダングラール夫人のもみ消しの嘆願も断れば
自宅で起こされた毒殺の犯人に対しても
「温情を持っているから『効き目の強い毒を自分用に用意してるだろうな』と言うのだ」と、
要するに自殺するようほのめかします。
その厳しい刃が結局のところ自分にも向かってしまい
ベネデットが息子だったと満場の裁判所で暴かれちゃってさあ大変★
皆の前で「事実です」と認めたのは男らしいのですが
家族に向けた刃の鋭さ強さに改めて反省し…ても遅かったわけで。
結局のところ自我を失ってしまうと。

復讐の後半はね、なんというか全体的にゆるやかでして
その昔に読んだときには「この差って、どうなの?」と思ったりもしたものでした。
前のふたりは命で償った的なのに対して、
ヴィルフォール氏は生きてるし(精神に異常きたしちゃったけど)
この後、最後に復讐されるダングラール氏なんかは
一番ひどいことした人なのに、生きて正気のまま(しかもある程度のお金は残される)だったりするしね。

でもね、考えてみると
命が続くってことは、ありがたいことでもあると同時に恐ろしいことでもあるんですよね。
正気を無くして狂気で生きるとなると、どんな悪夢だとしてもその狂った世界から自力で抜け出す術がないわけです。
これはねー、やっぱり相当に恐ろしい罰だと思うんですよ。

そして、正気で生き残ったことに対しては
悔い改められれば良し、ですが、悔い改められずにまた何かをしてしまう可能性もあって。
その場合、この世では償いきれなかったということですから
あの世というか、魂的にどうなのかなーっと。

個人的な考え方ですが、魂とか生まれ変わりとか信じてますので
記憶が無くなっても、魂がある以上は
生きている間のことは何かの形で残っていたり、影響が出るんじゃないかと思ってます。
それがこの時代か、前の時代か、後の時代かはわからないですけど、
オモテの意識には残らなくても、何かの形で、
それこそ神様がご覧になるくらいずーっとズームアウトした全体像として見たときに関係性がわかるんじゃないか?と。

そういう考え方になってからは
ダングラール氏への復讐がゆるやかなのも、なんとなく理解できるような?
モンテ・クリスト伯が自分で直接手をくだしたに一番近い形の復讐ですし
ヴィルフォール夫人が息子を道連れにしたことで『親の因果を子にむく』わせちゃった後でもありますので
ここで温情を示すのは、ダングラール氏に対してというよりも、自分に対してでもあるような気がするんですね。
神の温情を人として示すことで、自分に対しても神の温情が示されるという意味合いを感じているのかも。

ともあれ、自分を陥れた犯人たちへの復讐を終え
恩人に対しては子どもの代まで愛情を注ぎ
どこへとも言わず、エデとともに去っていくモンテ・クリスト伯。
この去り際もふぅーっと余韻を残していまして、曖昧さをどうとらえるかは人によると思うのですが
空に一筋残る飛行機雲みたいな感じで、わたしは好きですね。
手紙に残され、最後に語られる一文は、日本語たと文語調でちょっとわかりにくいので
原語で書いて、ルビや注訳で日本語にしたほうがカッコよかったんじゃないかな?とも思いつつ。

たっぷり読んで、書いて、心地よくほえーっとなっていますが
そして子どものころに抄訳で読んで終わった気分にならなくてよかったなーとも思っていますが
この大作を、福音館の子ども向け抄訳ではどんなふうにカットしているのか?
気になったりもしていますw
でもまあ、それはまた別の話ですので
そのうち機会があればね…と、棚上げしておきましょうか。

7巻にわたる長編ですが、一度読み切ってしまえば
再読は好きなところだけ拾い読みして堪能し、うっとりしたり好きなだけ泣いたりすることも可能ですので
何度も美味しくw楽しめます。

どなたでも…とはいきませんが、興味と機会のある方にはぜひぜひおススメいたしますです♪

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